母さん(小梅)は喘息患者です。
子供の頃はいつもゼーゼーいっていて咳ばかりしていましたが、大人になってからは急に息が詰まったようになる発作を起こしていました。

ある時、珍しくゼーゼーが続き「どうしたんだろう…風邪かな?」なんて思っていたのですが、点滴をしてもなかなか治まる気配がありません。
「そういえば生理も遅れているなあ」調べてみると妊娠していました。それがあっきぃーとの出逢いでした。

その後入院治療を行ってもなかなか発作はおさまらず妊娠2か月から休職しました。あっきぃーへの影響を考えて点滴治療を繰り返すことができず、ただただ発作とつわりに耐えるしかありませんでした。

そしてようやく母さんの発作も小康状態になった20週。突然「胎児が週の半分ほどしか体重がない」と医師から言われました。

再診した21週5日「今後、標準からどんどん離れていっていずれ亡くなるだろう。もし生きて生まれてきてもすぐに亡くなるだろう」と診察した部長先生から宣告されたのでした。「あと2日でどうするか決めてください。私のお勧めはあきらめて中絶するより自然に任せることですが…」とも言われました。

母さんは「こんなに動いているのにどうして亡くなるって言うの…」って思いました。ちょうど内科の受診日も重なっていたので外来で待っていたのですが、涙があふれて仕方がありませんでした。「どうして…どうして…」ずっとずっと考えていました。内科の主治医も外来の看護婦さんも「ここまでがんばったのに…」と後に続く言葉を失ったようでした。

ずっとずっと考えて、泣き続けて出した結果は「この子を信じよう。この子が生きている間、一緒に楽しい思い出を作ろう」。実際は持病のために家にこもっていて積極的に楽しみを見つけることもできず、ほとんど泣いて過ごしていました。(発作のために会話ができなかったので、人に話を聞いてもらうことができず、一人でずっと悩み続けました。)でも、妙に確信を持っていました。「この子は大丈夫。ちゃんとおなかの中で動いているもの…」って。

それからクリスマスが過ぎ、お正月も過ぎて「宣告の日」から10週間が経っていました。「30週までもった(生き続けている)し、今後どうなるかわからないけど専門の病院に行きますか。生きて生まれるか亡くなって生まれるか、生き続けられるかどうかもわかりません。障害をもって生まれてくるかもしれません。それでも積極的に助けにいくのなら専門の病院を紹介しますよ。」との説明がありました。翌日、専門病院に行きそのまま入院となりました。(自宅と病院が離れていたこと、切迫早産気味だったこと、喘息発作も落ち着かないうえに風邪までひいていたことが理由で)

「この子を助けて下さい!!」とすがる思いで診察や検査を受けていました。
ずっと「羊水が少なく腎臓や膀胱に問題があるかも」といわれ続けていましたが、初めての診察で「確かに少ないけれど、これだけ羊水が作れていたら大丈夫」と言われホッとしました。

その後「(エコーで見て)赤ちゃんの心臓に問題があるようです」「ここまで極端に小さくなった理由に染色体の異常があるかもしれません。致死的な染色体異常もあるし、今後の治療方針を決めるために羊水穿刺をさせて下さい。赤ちゃんの体力が弱く検査の途中で帝王切開をしなければならない状況が起こるかもしれない」との説明がありました。

自分では冷静を保とうとしながらも、混乱してしまって「助けられる方法があれば何でもしますから教えて下さい」と尋ねても仕方のないようなことを言っていたようです。

そして羊水穿刺(検査)が始まりました。検査当日は何とか無事に過ごせましたが…

翌日、普段なら朝食後に1回だけ行うNST(ノンストレステスト)が終われず、何度も検査を繰り返していました。そのうちに「ご主人の連絡先は?」「もうこれから食事も水もとらないで」といわれるようになり、結局「赤ちゃんがしんどがっているので帝王切開しますねと説明がありました。

隣のベッドにいた人が「また検査に行ったのかと思っていたら、赤ちゃんが生まれていたんですね」と後日話していたほどあっけなく妊婦生活にピリオドをうつことになりました。

いよいよ出産! いよいよ出産!NSTをしながら手術待ちの母、小梅