手術が始まって「きこえてくるBGMは何だろう」と手術中の様子をできるだけ記憶にとどめようとしている反面、「この子は無事に生きて生まれてくるのだろうか。(帝王切開の)手術中に耐えられず亡くなってしまうのだろうか。この子は重い障害をもって生まれてくるのだろうか。この子にたくさんつらい思いをさせてしまうのだろうか。この子は生まれてくることを望んでいるだろうか?」いろんな思いが入り混じる中、ふとおなかが軽くなったような気がした。

2001.1.18 13:20 あっきぃーは誕生した。私には産声が聞こえなかった。でも、赤ちゃんが隣の部屋に運ばれていったようだった。「大丈夫なんだろうか…」しばらくしておなかが閉じられ私はストレッチャーごと隣の部屋に運ばれた。

私の左肩(胸)におかれたのは小さな小さなあっきぃーだった。すでに挿管されていて(人工呼吸器につなげるチューブが入っていた)声も出なくなっていたが、あたたかいあっきぃーが私のあごをキックした。「きゃー」とスタッフの声。あっきぃーが私の上でおしっ○だけでなくうん○もしたのだ。でも私はうれしかった。「外にでたら、おっぱいを飲めるようになって、うん○もおしっ○もして、大きな声で泣けるようになって…」あっきぃーがおなかの中にいた時にずっとずっと話しかけていたことを早速実行してくれたのだ。

「ちゃんと泣いていましたよ。心配していた心臓も大丈夫でした。小さくて見えにくかったので変なふうに見えたんですね。」と説明された。

あとのことはよく覚えていないが、父さん(小梅の夫)が「あっきぃーの状態説明といろんな手続きの方法を聞いてきた」と教えてくれた。写真好きの父さんはデジカメであっきぃーと母さんを写し、いろんなところに連絡しようとベッドに横になっている母さんの足元でパソコンをさわっていた。

母さんは喘息発作や過敏反応が出るので鎮痛剤が使えず(副作用の出ない鎮痛剤で効果のあるものを見つけきれていない)何度も咳をこらえながら、ただひたすら痛みに耐えていた。

翌日(2001.1.19)、まだ痛みはあったものの「今日は赤ちゃんに会いに行きましょう」との声かけで病棟内を必死になって歩いていた。さすがに新生児棟まで歩いていけないので車椅子で連れて行ってもらった。

初めて行った新生児棟では手洗い、マスク・予防衣着用などいろんな約束事があった。保育器に入っていたあっきぃーは人工呼吸器や点滴(といっても注射器をシリンジポンプでゆっくり押しているのだが)につながり、いろんなモニターにつながっていた。「さわってあげて下さいね」と言われたものの、小さな小さなあっきぃーにいろんなものがつけられていてどこをさわってあげたらいいのか困ってしまった。母さんの親指があっきぃーの太ももと同じ太さ、あっきぃーの指は爪楊枝みたいな細さ…唯一何もついていない頭からさわり始めることにした。

日齢2のあっきぃーと母さんの手

1月20日(日齢2)のあっきぃーと母さんの手
あっきぃーはかわいい手で握ってくれました。

 

「ごめんね。あっきぃーがこんなふうになったのは母さんのせいだね。母さんが喘息だったばっかりにたくさん薬を使ったからだね。だけど発作を起こして低酸素状態になることが赤ちゃんにとって一番よくないといわれていたから薬を使っていたんだよ。母さんはどうしたらよかったんだろう。母さんになったらだめだったのかなあ…」気がついたら涙が流れていた。目の前のあっきぃーは一生懸命生きていた。「母さんも負けずにがんばらないとね」搾乳、冷凍母乳にして届ける方法など、新しいことを次々に教わって頭がいっぱいになっていた。

母性棟に帰ると聞こえてくる赤ちゃんの声。「私も赤ちゃんを産んだけれど、抱っこも直接おっぱいをあげることもできない。これで本当に母親になれるのだろうか…」とにかく搾乳してあっきぃーのところへ届けることとあっきぃーのそばにいてあげることしかできない。「小さいあっきぃーが新生児棟でがんばっているのだから、母さんもがんばらないとね」

お誕生おめでとうございます。
2001年1月18日 13:20生まれ
まだ小さいので呼吸器を使い、保育器に入ってNICUに入ってきました。
お目々をぱっちりあけて とてもかわいい男の子です。
お母さんには生まれて胸に抱っこしてもらいました。
お父さんは入院してすぐに、面会に来てくれました。
しっかりなでて声かけしてもらいました。
(連絡ノートより 以後も時折連絡ノートからの転載をします ご了承下さい)

「採血をさせて下さい」はじめはよくわからなかったがどうもあっきぃーからサイトメガロウイルスが見つかったらしかった。検査の結果、あっきぃーは先天性サイトメガロウイルス感染症と診断された。成人の大半(最近は90%台から70%台に減少しているそうだが)はサイトメガロウイルスに対する抵抗力を持っているのだが、母さんは発作を抑えるためにたくさんのステロイドを使っていたので抵抗力が落ちていたのだ。「弱々しいウイルスに感染したのは母さんのせいだね。ごめんね。いくら謝っても謝りきれないね。」そして、サイトメガロウイルス感染症で起こってくる症状が思い浮かんだ。難聴、知的障害、確か目にも問題があったはず…幸か不幸か母さんは看護婦(2002年3月からは看護師に名称変更。小梅はしっくりこないので看護婦かナースといっていることが多いかな)。病気について詳しく覚えていなかったが大体のことはわかった。「あっきぃー大丈夫だろうか…病気や障害が残らないだろうか…」
また涙が流れていた。

1月19日(日齢1)
今日はお母さんがまだ車椅子のまま面会に来てくれました。
全身をなでてもらい、お利口さんに眠りました。
そしてミルクが少しずつですが始まりました。

日齢6のあっきぃーと母さん

1月24日(日齢6)
2度の手洗いをしてあっきぃーの所にたどり着けます。NICUは暖かいので真冬なのにTシャツと予防衣だけでも汗だくに…

保育器の中のあっきぃー(日齢6) 今日はうつ伏せですごすあっきぃー

新生児棟では24時間いつでも面会できたので、冷凍母乳を持って日に何度もあっきぃーに会いに行った。そうしているうちに1週間ほどで母さんは退院することになった。わかっていたことだったがつらくて仕方がなかった。
「一緒におうちに帰れなくてごめんね。母さんのせいだね。でもあっきぃー待っててね、母さんはがんばって会いにくるから…」
父さんが運転する車の中から見えなくなるまでずっと病院を見ていた。家にたどり着くまで母さんは泣き続けていた。

1月27日(日齢9)
あっきぃーのお父さん、お母さんへ
かわいい男の子のご出産おめでとうございます。
生まれて10日を迎えて、あっきぃーもずいぶんしっかりしてきました。
これからもまだまだいくつかのハードルをこえていかなければなりませんが
あっきぃーはしっかり頑張って成長してくれることと思います。
頑張りやさんのかわいいあっきぃーを私達も見守っていきたいと思います。
あっきぃーへのメッセージや成長の記録をこのノートに綴っていきたいと思います。
お父さん、お母さんにも参加してもらえたら幸いです。
今日は、お母さん退院されましたが無理のないよう
ボチボチあっきぃーにあいに来て下さい。
また、あっきぃーが何して過ごしているか(わるさをしていないか、
おもしろいことしていないか)お知らせしますね。

注:実際はあっきぃーではなく本名(○○くん)で書かれてありますが
プレイバシーの関係上差しかえています。御了承下さい。